年度主題「すべての人を招き迎える教会」 ニュースレター No.3
テーマミーティング報告号
2023年3月5日 11:40-12:05 於:頌栄教会礼拝堂
第1部 テーマミーティング発題 清弘先生
1.今年度の主題の位置づけ
今から4年前、コロナの前でしたが、2019年度の全体会において、わたしたちはキリストの体としてどのような教会になりたいのかを話し合いました。その結果は以下の四つの言葉で纏められるものでした。
〇「主日礼拝を重んじる教会」
〇「愛し合い仕え合う教会」
〇「すべての人を招き迎える教会」
〇「世に遣わされ世に仕える教会」
これらは、そのまま2020年度~2023年度の年度主題となりました。
これらのテーマは、神との関係、互いの関係、この世界との関係がどのように整えられなくてはならないかを示しています。今年度はこの三つ目、この世との関係を「招き迎える」という観点から考える年度でした。
2.招き迎える場としての礼拝
教会とこの世との関係において、教会に「招き迎える」ということを考える時、その第一の場は、「主日礼拝」です。
ということで、私たちが人々を招き迎えて主日の礼拝を共にささげるために「何ができるのか」ということを考えてきました。まず役員会において、各部会において、そしてそこで出てきたものを全体に共有して読んでいただき、共に考えていただきました。なかなか全体で話し合う場を持つことができなかったのは残念でした。
しかし、主日礼拝を「招き迎える場」として考える時に、そのために「何ができるか」ということは大事ですが、もっと大事なのは、そこで礼拝している私たちが「どうあるか」ということです。
たとえば、こんなことを考えてみてください。仮に、そこに集まっている全員が、自分の信仰的ニーズを満たすために、「自分のために」教会に来ている人だとします。そのような集まりは、「招き迎える場」としての主日礼拝になるでしょうか。ならないことは明らかです。
3.礼拝堂に身を置いた時の意識
ではどうあるべきか。そこで重要なのは、礼拝堂に身を置いた時の私たちの意識です。
①主によって呼び集められた者
第一に重要なのは「主によって呼び集められた」という明確な意識を持つことです。それは「自分のために教会に来た」というのとは明確に区別された意識です。
②共に礼拝をささげる者
主によって呼び集められたのは何のためでしょう。それは共に礼拝をささげるためです。個人的な礼拝ではなく、個人的な神との交わりではありません。主が個人的な礼拝を求めておられるなら、何も私たちを「集める」必要はなかったのです。私たちが、恵みに応えて、御心にかなった主に喜ばれる礼拝をおささげしたいと願うなら、「共に」という要素が決定的に重要になるのです。
③互いに迎え合う者
「共に」礼拝をささげるためには、まず私たち自身が互いに心を開いて「迎え合う」ということを意識的に行う必要があります。この世との関わりにおいて「招き迎える教会」である以前に、私たち自身が互いに迎え合う者である必要があるのです。
他者と共に礼拝をささげるために、心を開いて他者を迎えようとするならば、時として自分の願っていることや求めていることを放棄しなければならないことも起こってきます。そのようなことも、共に礼拝するための奉仕として喜んでささげることがなされてこそ、「共にささげる礼拝」は成り立つのです。
4.すべての人を招き迎える教会となるために
そのようにして、毎主日ささげられる「共にささげる礼拝」に、主は人々を招かれます。主がどのような人を招かれるのかは、私たちの知り得るところではありません。なので「すべての人」としておくのが良いでしょう。主が招かれる「すべての人」を私たちもまた招き迎えることができる教会となるために、私たちの週毎の礼拝がどうであるか、礼拝者としての私たちの意識はどうであるかを、繰り返し振り返る必要があろうかと思います。
問い
① これまでの自分の礼拝のあり方を振り返り、気付いたことがありましたか?
② 「すべての人を招き迎える教会」となるために、自分にできる心がけは何でしょうか。
第2部 分かち合い
参加者35名が7つのグループに分かれ、清弘牧師の発題の中で問われた二つの点について分かち合いを行いました。それらの中から一部を紹介します。
問① これまでの自分の礼拝のあり方を振り返り、気付いたことがありましたか?
自分のために来ているのが、まず先だった。
「神―自分」だけでなく、横のつながりもある。
「脇目を振るう」という言葉から、周りの人への思いを持つようになった。
礼拝の奉仕―まわりに仕える思いで引き受けたい。
表に見えない、文字には表すことがない奉仕にも思いを巡らすきっかけがあるといい。
一人の信仰者としての思いと「群れ」としての思いを区別して考えていきたい。
神さまの恵みを受け取りに、自分の安心、安堵を受け取りに教会へ来ている。
コロナで会堂に来られなかった。実際に集うことはとても大事。「共に」を感じられるから。
奉仕当番でないときは、自分のために礼拝をまもっていると思う。
これまでは、自分が礼拝を「受ける」という思いだった。「礼拝は捧げるもの」という意識を持つことができるようになった。
問② 「すべての人を招き迎える教会」となるために、自分でできる心がけは何でしょうか。
いらした方に声をかけて、にっこり笑う。
無視はしないが、踏み込まない。
まわりの人に心を配り、交わりを大切にする。ちょっとした配慮を心掛けたい。
子供も、礼拝の中で受け入れられていれば、どこで静かにするかを身をもって知るようになる。
下北沢の街の人を「別の人たち」と思わないで迎えたい。
すべての人=どのような人も来る可能性があると思うこと。
礼拝の後に、小グループに分かれ、話したり祈ったりする機会を持つと声をかけやすく「共に」という意識が芽生えるのではないか。
高齢者も、子どもも、体の不自由な人も、一緒に捧げるという思いだと、自分の中に喜びが沸いてくるように思う。
~プロジェクト22より~
教会員のみなさまのフィードバックをもとに、これらを次年度主題「世に遣わされ世に仕える教会」へと継承していきたいと思います。